日本キリスト教団六ツ川教会

5月のお知らせ

5月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について
新型コロナウィルス感染症の拡大防止を食い止めるため、現在、横浜市では外出自粛が要請されておりますが、六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。

しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。

礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。

1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。

日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同

 

5月第1週の聖日礼拝
5月3日(日)10:30~
説教「愛から信仰へ」桐藤 薫 伝道師
聖書 ヨハネによる福音書21章15-19節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)

ヨハネによる福音書21章は、後世の編集によって付け加えられたものと考えられています。本編の「おまけ」と言えますが、本編ではどうしても伝えきれなかった重要なことが、編集者の手によってここに書き加えられたとも言えます。
ペトロは主イエスに「あなたの上に教会を建てる」(マタイ16:18)と告げられましたが、彼は主が逮捕されるとその場から一目散に逃げ去ってしまいました。そのようなペトロが、どうして教会の礎となり得るのでしょうか。本日の聖書箇所には復活された主イエスとペトロの対話が記録されていますが、「愛しているか」「愛しています」のやりとりが3度繰り返されるという非常に奇妙な内容です。ここはギリシャ語の原文を読むと、この対話に込められたメッセージを読み取ることができます。主はペトロに対して「アガペー」の動詞の形で2度質問し、3度目のみ「フィロース」の動詞の形を使って質問しています。ペトロは3度とも「フィロース」で応答しています。「アガペー」と「フィロース」は、日本語訳聖書においてどちらも「愛する」と訳されますが、「アガペー」は主への愛、特に主の十字架を共に担う愛を意味する一方で、「フィロース」は「友人として愛する」という意味で用いられます。ペトロは主の十字架を共に担う愛ではなく、主を友人として愛することを正直に告白していたのです。これまでのペトロは、他の弟子を押し除けるようにして「私はあなたのために命を捨てます」と主に向かって宣言するような人物でした。しかし今は友人としてしか愛すことができない自分の限界を告白し、また自分自身の主イエスへの愛を、その場にいた6人の弟子たちと比較することはしませんでした。なぜでしょうか。ペトロは主のご受難を通して自分の信仰の脆さと、仲間と信仰心を競っていた自分の醜さを知ったからです。ペトロのこの姿を私たちに伝えようとして、ヨハネ福音書の編集者は21章を付け加えたのではないでしょうか。
「私こそがNo.1の信仰者だ」と宣言する人の上に主の教会は建ちません。自分の弱さを知り、他者を愛する人の上に、主の教会は建つのです。

ペンテコステって何でしょう?
キリスト教の祝日のなかで、イースター、クリスマスに比べて知名度が圧倒的に低いのがペンテコステです。これは信徒たちに聖霊が下され、みなが聖霊に満たされた出来事を祝う日であり、いわば教会の誕生を記念する日です。聖霊に満たされるなんてちょっと熱狂的な感じがしますね。でも最近、同じような現象を社会のあちこちで見かけるようになりました。EXIT風に言えば「それってペンテコステじゃね?」ぜひお話を聞きにいらしてください。

5月31日(日)ペンテコステ(聖霊降臨日)・