6月のお知らせ
新型コロナウィルスへの対応について
新型コロナウィルス感染症の拡大防止を食い止めるため、現在、横浜市では外出自粛が要請されておりますが、六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
6月第1週の聖日礼拝
6月7日(日)10:30~
説教「主を超える業」桐藤 薫 伝道師
聖書 ヨハネによる福音書14章8-17節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
人には様々な側面があります。家庭での私、職場での私、教会での私。向かい合っている人が誰であるかによって、私たちはこれらの側面を意識的・無意識的に使い分けています。同じように、私たちは自分自身が相手を何者として見ているのかによって、意識的・無意識的に相手をその「何者」の枠に嵌め込んで理解しています。弟子たちは主イエスをどのように見ていたのでしょうか。弟子たちは主イエスを1人のラビとして見ており、この優秀なラビについて行けば安心だと思っていました。そのような弟子たちにとって、「わたしが行く所にあなたたちは来ることができない」という主の言葉は衝撃的でした。フィリポの「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」という問いは、フィリポの動揺と、たとえ主と長く共にいたとしても1人のラビとして見ている限り、主のことを理解することができないことを示しています。
「業」、これは主イエスが行った奇跡を指しています。ヨハネ福音書の特徴は奇跡のスケールが大きいことであり、ラザロの蘇生がまさにその象徴的な例です。ヨハネにとっての奇跡は、主イエスの働きにおいて神が姿を現していることを示すのが目的です。しかし主は意外なことをおっしゃいます。「わたしを信じる者は…もっと大きな業を行うようになる」。死者を蘇生させるような主の業を、弟子たちがどうして超えることができるでしょうか。主を超える業、言い換えれば弟子たちだけができる業、それは何でしょうか。それは伝道です。福音をパレスチナだけでなく全世界に宣べ伝えること、これは弟子たちにしかできない業です。そしてこれは、主を1人のラビではなく神の子と信じるところから始まります。主を神の子と告白する私たちは、主の救いの御業を宣べ伝えなければなりません。救い主は、救われる人がいてこそ救い主です。私たちが伝道に励み、救われる人を一人でも多くすればするほど、神はますます栄光を現されます。それこそが主を超える業なのです。