日本キリスト教団六ツ川教会

8月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について
現在、新型コロナウィルス感染症の第二波が懸念されていますが、六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同

 

8月第1週の聖日礼拝 平和聖日
8月2日(日)10:30〜
説教「命のパンを得るためには」桐藤 薫 伝道師
聖書 ヨハネによる福音書6章22-27節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
本日の聖書箇所は、「その翌日」という言葉から始まります。この前日に起こったのが、パンの奇跡です。主イエスが5つのパンと2匹の魚を取って感謝の祈りを捧げ、分け与えられることで5,000人の群衆を満腹にさせたのです。群衆はそれぞれ隣の人にパンを手渡しながら、「この人はすごいぞ」と囁きあったに違いありません。そして残ったパン屑を集めると12籠がいっぱいになり、群衆は熱狂して「この人こそ預言者だ!」「この人を我々の王にしよう!」と口々に叫んだのです。ところが、主イエスとその弟子たちは群衆を置いてその場から立ち去りました。
22節からは、群衆が主イエスを捜しに行くところが描かれています。やっとのことで、カファルナウムで主を見つけた群衆たちは、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか。」と言っていますが、これは不満の言葉です。私たちがあなたを王にしようとしたのに、どうして立ち去ったのですか。まるで、「私たちがあなたを王にしてあげよう」と言わんばかりの傲慢な言葉です。しかも彼らが主イエスを王にしようとする理由は、主が肉体の糧としてのパンを与えてくたからです。そして今後も与え続けてくれることを期待しているのです。
主は彼らの心を見抜いておられます。「あなたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。」人間は満腹にさせてくれる人を求めます。出エジプト記では、空腹に堪えかねたイスラエルの民はモーセに対して、エジプトでは肉やパンを腹一杯食べることができたと突っかかっており、自由よりも空腹を満たすことばかり考えていました。もちろん主は、肉体の糧を軽視していません。その肉体の糧を必死に追い求めるのと同じくらい、命の糧を得るために働きなさいとおっしゃっているのです。ただ、命の糧が何なのか分かっていないと働きようがありません。命の糧とは何でしょうか。それは主イエスのことです。主イエスを信頼して日々を生きることが、命の糧のために働くことです。肉体の糧のみを追い求める人々は、必ず奪い合い、戦争を引き起こします。しかし命の糧を追い求める人々は分かち合い、共に生きようとします。主を信頼すること、それこそが平和への道なのです。