新型コロナウィルスへの対応について
現在、新型コロナウィルス感染症の第二波が懸念されていますが、六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
12月第1週の聖日礼拝 平和聖日
12月6日(日)10:30~
説教「主を待つ心」桐藤 薫 伝道師
イザヤ書59:12-20 マタイによる福音書13:53-58
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
主イエスは、故郷であるナザレでなぜ受け入れられなかったのでしょうか。
ナザレの人々も預言者たちの言葉を信じ、救い主の到来を待ち望んでいました。その救い主が目の前に現れ、会堂で説教をしてくださり、彼らはその御言葉を聞き、その内容に大いに驚きました。それにもかかわらず、彼らは主を受け入れずに躓いてしまったのです。なぜでしょうか。彼らは「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」(54節)とささやい合います。ここで「神から」という答えを出すことができれば主を信じる道を歩むことができたのですが、彼らの答えは「大工の息子」でした。主の家族をよく知っている、名前を次々と挙げることができるくらいよく知っていたために、それが足かせとなって自分たちの知っている範囲でしか主を見ることができなかったのです。それが彼らの躓いた原因です。
「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」(57節)。神は天地の造り主ですから、神の子である主イエスの故郷はナザレに限定されません。世界のすべて地が含まれます。主はこの地で敬われず、受け入れられないのです。それは今も変わりません。この日本も主を敬う国ではありません。それでも主は今も私たちに向かって、いつも御言葉を語ってくださっています。今日も教会でこのようにして語ってくださいます。私たちはその御言葉に驚くだけではいけないのです。自分の知っている範囲で御言葉を聞いてはいけないのです。理解ができないことがあっても、御言葉を信じて委ねなければならないのです。
「待つ」とは、物事が私たちの思い通りにいかないことを知ることです。相手に対して受け身になることです。現在の「待てない社会」において、「待つ」ことの意味はとても大切になっています。私たちは主が再び来られるのを信じて待つ。待降節は、その主を待つ心を思い起こす大切な時なのです。
教 会 の ク リ ス マ ス
今年も主のご降誕をお祝いするクリスマスを迎えようとしています。街はクリスマスの飾り付けがされて、とても賑やかになりました。しかし今年は、新型コロナウィルス感染症拡大のため生活が一変してしまい、不安な日々を過ごしている方が大勢おられると思います。その方々にとっては、街の賑やかさに、むしろ苦しさを覚えるのではないでしょうか。
主のご降誕の喜びは、羊飼いという過酷で不安定な環境での生活を強いられている人々に最初に伝えられました。苦しい環境にある人々に、喜びの声が届けられたのです。六ツ川教会は華やかなクリスマス礼拝を行いません。静かに主のご降誕の喜びを共にお祝いします。孤独に苛まれている方、不安のなかにある方、クリスマス礼拝に来られませんか。共に主のご降誕を静かにお祝いしましょう。
12月20日(日) クリスマス礼拝(今年は祝会中止)
12月24日(日) キャンドル・サービス 19:00より