日本キリスト教団六ツ川教会

5月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。

 

日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
 
5月第1週の主日礼拝 
52日(日)1030
説教「わたしは道である」桐藤 薫 伝道師
ヨハネによる福音書14 : 1-11
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
 
ヨハネ福音書に登場する弟子たちは、多くの場面において主イエスの御言葉を理解できない、あるいは誤解する存在として描かれています。トマスの「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうしてその道を知ることができましょうか」(5節)という問いは、いつも主の側にいながら御言葉を全く理解していない「愚かな問い」と言うべきかもしれません。
現在、多くの教会が新型コロナウィルス感染症のために苦しんでいます。このようなときに、私たちもトマスと同じ問いを主に投げかけていないでしょうか。なぜ主はいてくださらないのか、主はどこに行ってしまわれたのかと、叫んでいるのではないでしょうか。そのように考えますと、トマスの問いは、私たちの問いでもあるのです。トマスの問いを「愚かな問い」と言っている私たちも同じように、愚かな問いを主に向かって投げかけているのです。
しかし、主はそのような愚かとも言える問いに対して、きちんと答えてくださっています。その答えが「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(6節)という御言葉です。主が私たちの問いに正面から答えてくださることは、主の私たちに対する深い愛情です。
主は「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか」(2節)とおっしゃっています。これは驚くべきことです。父の家には、すでに私たちの居場所が用意されているのです。すべての人の居場所が用意されているのです。「私の居場所だけなかった」ということがないのです。ただ問題は、居場所が用意されながら、私たちはその場への行き方が分からないのです。だから主はおっしゃるのです。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」主の道を歩むこと。主の背中を見て、後について行くこと、それが父なる神が用意してくださった居場所へと向かう唯一の道なのです。