日本キリスト教団六ツ川教会

1月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について
現在、一都三県に緊急事態宣言が再発令されていますが、六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。

 

日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同

 

1月第1週の聖日礼拝 
13日(日)1030
説教「主のおられる教会へ」桐藤 伝道師
マタイによる福音書23:13-23
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
主イエスの時代のエルサレム神殿は、ヘロデが再建しました。ソロモン王の時代に建てられた壮麗な神殿はバビロン捕囚の時に破壊され、ユダヤ人たちは神殿再建の夢を長年抱いてきました。ヘロデはその夢を叶えることで、ユダヤ人たちの支持を得ようとしました。自らの政治的な目的によって神殿を再建したのです。しかし、その神殿に神はおられませんでした。神は地位も名誉もない、貧しい夫婦であるヨセフとマリアのもとにいらっしゃったのです。そしてヘロデが真の神である幼子イエスを躍起になって殺そうとしたのは、自分が再建した神殿に神がいないことを、皮肉にも自らの行為で示していたと言えるのです。
 幼子とは大人の世話がなければ生きていけない、受け身で無力な存在です。ヘロデによる二歳以下の男子への殺害命令は、無力な者に対する悲惨な暴力でした。こういった暴力は、いつの時代にもあります。それがなかった時代を、人間はいまだ経験していません。力のある者が力のない者を抑圧するのが、人間の社会の悲しい現実です。そのような人間社会に、主イエスの幼子となって、貧しい夫婦のもとに来られました。それは主が全く受け身で無力な方であり、そして社会的には何の力もない、抑圧される者と共にいらっしゃるということです。
ヘロデの命令によって子供を殺された母親たちは、悲しみのあまり、慰めてもらうことさえも拒んでいました。抵抗することもできずに子供を奪われ、深い悲しみによって心を閉ざし、誰からの慰めをも受け入れることができないのです。同じことが今の時代にも見られます。愛する人との別れ、自然災害、新型コロナウィルス、また差別や嫌がらせなどによって、悲しみに暮れている方が数多くいます。「現代のラケル」とも言うべき方々が、私たちの周囲にはたくさんいるのです。私たちはそのような方々に対して無関心になってはいけません。ただ、私たちにできることは、その方々に寄り添って、共にゆっくり歩むことだけです。それはとても長い時間がかかることですが、そのときにこそ、ヨセフとマリアが幼子イエスに寄り添って、神の声に導かれて辛く長い旅をした姿を思い起こしたいと思います。私たちが深い悲しみにある人に寄り添って共に歩むとき、六ツ川教会は主のおられる教会となるのです。