新型コロナウィルスへの対応について
現在、一都三県に緊急事態宣言が再発令されていますが、六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
2月第1週の聖日礼拝
2月7日(日)10:30~
説教「神を動かす信仰」桐藤 薫 伝道師
マタイによる福音書15:21-31
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
ここでの主イエスの言動は不可解です。娘の病気を治してほしいと切実に訴えるカナンの女の懇願に対して、主は始め沈黙してお答えにならず、さらに2度に渡って拒絶するのです。最終的には「あなたの信仰は立派だ」とおっしゃって娘の病気が癒されることになりますが、この癒しに至るプロセスには、何かスッキリしないものを感じます。
この女性の娘は悪霊に苦しめられていました。恐らくそのことが原因で、この母娘は周囲から孤立した日々を送っていたはずです。母親は主イエスが病を治すことができるという噂を耳にし、娘を癒してもらいたいと願っていました。そのとき偶然、主がこの地を通りがかられた。二度とない機会だと思ったはずです。この機会を逃したら、一生苦しむことになる。母親の懇願に鬼気迫る迫力があるのは、当然かもしれません。
ところが、この母親の再三の懇願にもかかわらず、主は三度に渡って拒絶されました。主はあくまでもイスラエルの民を導くために、この地に遣わされたからです。通常の物語であれば三度断った時点で話は終わりますが、この物語が特殊なことは、三度目の答えの続きがあることです。主が「子供たちのパンをとって子犬にやってはいけない」という譬えを出されたことを取り上げ、「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパンくずはいただくのです」と返します。イスラエルの民の外にあって苦しんでいる私は、その恵みのおこぼれにあずかることも許されないのですかと、食いつくのです。主イエスは、娘を治さないと結論を出しました。その結論に逆らって食いつくこの女性の言葉は、神に逆らった言葉です。神に逆らって神に祈る言葉です。
主はこの女性に圧倒され、その願いを聞き入れました。この女性に負かされたと言ってよいでしょう。こうして、主の恵みはイスラエルの枠を超えるようになったのです。そして、主はこの女性に「大きな信仰」とおっしゃいました。それは主イエスを動かす大きさです。大きな信仰とは、神を動かす信仰なのです。
カナンの女という、名前も知られていない小さな存在の大きな信仰が、神を動かしました。そして、イスラエルの民でない私たちも、食卓から落ちるパン屑をいただく恵みを、今日もこうしてあずかることができるのです。