日本キリスト教団六ツ川教会

4月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。

 

日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
 
 
4月第1週の主日礼拝 
44日(日)1030
説教「だいじょうぶだよ」桐藤 薫 伝道師
マタイによる福音書28 : 1-10
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
 
 マタイ福音書では、主イエスが死刑判決を受けてから墓に葬られるまでの一連の過程に、主の十二弟子たちは登場しません。彼らはどこに行ったのでしょうか。7節の天使の言葉、「あなたがた(=弟子たち)より先にガリラヤに行かれる」から分かることは、弟子たちはガリラヤに向かっていたということです。弟子たちは主イエスが王となってこの世を変えてくれると期待していました。しかし主は十字架に付けられて死んでしまいました。彼らは主イエスの死に絶望し、不安と恐怖のなかで故郷ガリラヤに向かっていたのです。「結局、人間は死んだらおしまいだ」。弟子たちは死の力に捕らえられていたのです。これは今に生きる私たちも同じように考えています。しかし主のご復活は、この「死んだらおしまい」という考えをひっくり返します。それによって私たち生き方が一変します。どう変わるのか。それは普段抱いている不安や恐怖が、喜びに変わるのです。
主イエスはマグダラのマリアたちに会ったとき、「おはよう」とおっしゃいました。この言葉は原文を直訳すると「喜びなさい」という意味であり、異なる表現を用いれば「恐れることはない」となります。「恐れることはない」を少し柔らかい表現にすれば、「恐れなくても大丈夫だよ」と言い換えることができるでしょう。簡単に言えば、主イエスは「大丈夫だよ」とおっしゃっているのです。
弟子たちは不安と恐怖のなかで故郷ガリラヤに戻ったときに、復活の主イエスと出会いました。主が弟子たちを不意打ちしたのです。復活の命が不意打ちしたのです。私たちが不安と恐怖に慄いているときに、主は私たちを不意打ちしてくださるのです。そして、私たちに「だいじょうぶだよ」とおっしゃってくださるのです。これは私たちにとって大きな慰めです。主が私たちに望んでおられることは、私たちが喜ぶことです。私たちが喜んで生きることです。私たちが主の「だいじょうぶだよ」という言葉に励まされ、喜んで生きるとき、復活の主は私たちと共におられるのです。