日本キリスト教団六ツ川教会

8月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。

 

日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
 
8月第1週の主日礼拝
81日(日)1030
説教平和への歩み桐藤 伝道師
マタイによる福音書 第935-38
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)

 

私たちはどのように平和の実現を目指すのでしょうか。その答えは主イエスの地上の歩みに示されています。主がなさったのは、町や村を回り、教え、福音を述べ、病を癒されることでした。そして主はご自身と同じ権能を弟子に授けています(10:1)。主の業を弟子たちが引き継いだところから、教会の業が始まりました。教会のなすべきことは、主の業を繰り返すことなのです。
 主イエスは、多くの人々の病を癒されました。しかし、そのような奇跡を目の当たりにしても、彼らはただ驚いただけでした。主が癒された人々に対して、「このことを誰にも知らせてはいけない」とおっしゃるのは、彼らの中に、神の御業を見ても信仰に目覚めることのない愚かさを見たからです。主イエスは、そのような人間の愚かさに囲まれていました。主はそのような群衆を、飼い主のいない羊に重ね合わせて、深く憐れんでおられます。「深く憐れむ」とは、断腸の思いがするほど痛切な痛みを込めた同情を言い表します。主イエスは、人々の愚かさに囲まれながら、その愚かさを軽蔑することもなさらず、ご自身の身体が切り刻まれる思いを抱かれたのです。深い憐れみのなかで、ご自身の肉体を割いてしまうほどの愛に生きられた神、それが聖書の示す神の姿です。
 「深く憐れむ」は、必ず主イエスを主語として用いられています。深い憐れみの心に生きられるのは神のみであって、私たちではないということです。私たちにできるのは、父なる神に願うこと、憐れみの主に仕えることです。そうすることで、主のおっしゃる収穫を見ることができるのです。
 私たちの神は、憐れみの神です。私たちの愚かさを、ご自身のはらわたが裂かれる思いで苦しんでくださる神です。愚かな群衆も、悪霊呼ばわりしたファリサイ派をも滅ぶことを望まない、憐れみ深い神です。だから、十字架につけられたときも、「父よ、彼らをお赦しください」と、十字架につけた人々のために祈ることができたのです。私たちの教会は、その主の憐れみに仕え、主の働き人を求める祈りをする教会です。それが私たちにとっての平和への歩みであり、主の業を引き継ぐ教会となるのです。