新型コロナウィルスへの対応について
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
9月第1週の主日礼拝
9月5日(日)10:30~
説教「教会の姿」 桐藤 薫 伝道師
マタイによる福音書 第18章15-20節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
主イエスが教会について直接言及された箇所は、ほとんどありません。それだけに、本日の御言葉は主イエスが教会をどのように考えておられたのかを知る数少ない手がかりです。ここは「教会が兄弟の罪をどう処置するのか」がテーマになっています。日本基督教団の教規には「戒規」という一種の罰則があり、教会が罪の問題に向かい合うことを示しています。ただ、主イエスがここでおっしゃっているのは、兄弟を罰することが目的ではありません。
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。」(15節)とは、私たちが罪を犯した兄弟に忠告する、つまりその犯した罪を明らかにするということです。注目したいのは、「行って」という言葉です。もし自分が教会の仲間に罪を犯された場合、私たちはどうするでしょうか。我慢すると思います。そして、その人に直接、忠告することはないと思います。事を荒立てたくないからです。そして「あの人とは関わらないでおこう」と距離を置きます。そして教会も同様に「あの人は仕方のない人だ」と関わりを避けようとするのです。主がここで「行きなさい」とおっしゃるのは、そうしないとその人は教会から切り離され、滅びの道を歩むことになるからです。主が最も心を注いでいる相手は「罪を犯した兄弟」と言えます。
では、「罪を犯した兄弟」とは一体誰なのでしょうか。「私以外」と考えるのが自然です。しかし、兄弟に罪を犯し、兄弟に来てもらい、忠告してもらう必要があるのは、何より私たち自身ではないでしょうか。なぜなら私たちは、いとも簡単に神のことを忘れる罪を犯しているからです。私たちは誰もが罪人です。主イエスは、そのような罪まみれ私たちの姿を知っておられながら、いつも探しに来てくださり、声をかけてくださっています。神から離れてはならないと、忠告してくださるのです。主イエスが私たち一人一人を赦してくださっているから、私たちは今日もこうして教会に集まっています。教会に集う私たちは、罪の赦しの恵みに感謝する群れです。それが十字架を担う教会の姿なのです。