日本キリスト教団六ツ川教会

10月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について——感染リスクが下がっていますがしばらく継続します
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
 
 
10月第1週の主日礼拝 
10月3日(日)10:30~<10月のイメージ.jpg>
説教「みな大切にされている」 桐藤 薫 伝道師
マタイによる福音書 第21章18-22節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
 
マタイによる福音書第21章は、主イエスの地上における歩みの最後の1週間の出来事が描かれています。主は人生の総仕上げというべきエルサレム入城のとき、いちじくの木は全く実を結んでいませんでした。このいちじくの木はイスラエルを象徴しており、主の地上での活動がイスラエルの人々に実を結ばせるに至らなかったことを暗示しています。威勢よく葉っぱばかりを茂らせるだけで、主の飢えを満たすことが全くできない、いちじくの木だったのです。
いちじくの木は、「今から後いつまでも、お前に実がならないように」という主の言葉によって枯れました。その様子を見て弟子たちは「なぜ、たちまち枯れてしまったのですか」と主に尋ねています。これに対して、主が語られたのは「信じて疑わないならば」という信仰についてのことでした。主イエスは神を信じて疑わなかったから、いちじくの木は枯れました。実の結ばないいちじくの木は、人を生かす果実ではなく、自分自身が栄養を吸収するための葉っぱばかり茂らせています。そのような自分中心で人を大切にしないいちじくの木は、神の前では枯れるしかありません。なぜなら、神は一人一人を大切にされる方だからです。
主イエスの飢えは、人々から大切にされないことによる飢えでした。主はご自身が大切にされないことを分かっておられながらエルサレムに戻り、神を大切にしようとしない私たちの罪を贖うために十字架につけられました。主が十字架につけられる前日に弟子たちと共にした食事は、聖餐の始まりとなりました。主は人々から大切にされず、弟子たちにも裏切られることを分かっていて、「これは私の身体である、これは私の血である」と、私たちのために自らの命を捧げてくださいました。聖餐に与るとは、主がそのようにご自身の命を捧げて、私たち一人一人を大切にしてくださっていることを思い起こすことです。私たちがそのことを信じ、疑わないとき、主は私たちに「あなたの人生は実を結んでいる。私の飢えを満たしている」と言って喜んでくださるのです。