新型コロナウィルスへの対応について——感染リスクが下がっていますがしばらく継続します
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
11月第1週の主日礼拝
11月7日(日)10:30~
説教「小さな愛の重さ」 桐藤 薫 伝道師
マタイによる福音書 第25章31-40節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
本日の御言葉は、主イエスが地上でなされた最後の説教です。最後の説教ですから、ここに主イエスが私たちに最も伝えたい大切なことが語られています。私たちが意外に思うのは、主は31節から33節にかけて「すべての民族を裁く」というスケールの非常に大きな話をされながら、私たちに伝えようとされていることが、「飢えているときに食べさせてあげる」といった、とてもスケール小さな愛の業であることです。この物語で注目しなければならないのは、そのような小さな愛の業を行ってきた人々が、「自分自身がいつそんなことをしたのだろう」と言って不思議がっていることです。これは、主イエスが山上の説教で語られた「右の手のすることを、左の手に知らせてはならない」(マタイ6:3)、つまり、自分でしたことを自分に知らせるなという御言葉と響き合っています。この御言葉の意味するところは「偽善を捨てなさい」ということです。主イエスが私たちに繰り返し教えておられるのは、実はこの偽善との戦いです。私たちキリスト者が陥りがちなのは、主が大切にされた小さな愛の業を忘れてしまい、自分たちで愛の業の重さを勝手に決めてしまうことで、自分や他人の信仰を評価してしまうことです。ここから偽善が始まります。主が小さな愛の業を大切にされたことを思い起こすことは、偽善から自由になることに繋がります。主がご自身の最後の説教で小さな愛の重さを語られたのは、「愛の業を行わなければならない」という思い煩いから、私たちを解放するためです。正しい人に分けられたのは、小さな愛の業を無意識的に、思わずしてしまう人々でした。「思わず」ですから、大きな業ができるはずありません。自分が意識する前に思わずしてしまう小さな愛の業の重さ、主イエスはそれを私たちに伝えてくださっています。主イエスに評価されたのは、善行で自分を飾った人々ではなく、小さな愛の業を思わず行い、自分自身の人生において神に褒められるようなことを何もしていないと思っていた人々だったのです。
11月 7日(日) 永眠者記念礼拝
11月21日(日) 収穫感謝礼拝
11月28日(日) アドベント(降誕節)〜12/24