日本キリスト教団六ツ川教会

2月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について――オミクロン株の感染リスクが急拡大しています
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
 
2月第1週の主日礼拝 
26日(日)1030
説教「ともし火が来る」 桐藤 伝道師
マルコによる福音書 4:21-25 第421-25
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)

 

ともし火が来る
マルコによる福音書 第421-25

 

「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。」(21節)この「ともし火を持って来る」という部分を直訳すると、「ともし火が来る」となります。火が自分で歩いてこちらに来るような印象を受けますが、この「ともし火」は、主イエスのことです。ですから「ともし火が来る」とは、「主イエスが来られる」という意味であると考えると、この直訳も理解ができます。
「升」は、火を消す際に用いられた道具ですので、「ともし火を升の下に置く」というのは、主のともし火を消すということです。誰が消すのか。それはユダヤ人の指導者たちや群衆です。ですが驚くべきことに、主の弟子たちもまた、主のともし火を消そうとしていたのです。彼らは主の弟子となりました。しかしガリラヤでの伝道で、主は多くの人々の反感を買い、その矛先は自分たちにも向けられました。弟子たちは「思っていたのとは違う」と内心、感じていたはずです。だから、主イエスに対して、周囲と波風を立てずに伝道できないものかと不満を持っていたのです。彼らはそのような思いで、主の側でその御言葉を聞いていました。しかし、それはただ聞こえていただけでした。
主が十字架につけて殺されたのは、光が闇によって消された出来事です。このまま何も起こらなければ、この世は闇に覆われました。しかし、神は墓に葬られた主イエスを復活させられ、そのとき再びこの世は光に照らされ、闇に隠れていた人々の罪があらわになったのです。主を見捨てて逃げたペトロが、主から聞いていたことの意味が分かったのは、主が復活されてからです。主の復活によって、これまで主から聞いていた言葉の意味が分かったのです。つまり、御言葉を聞くには、主の復活を信じることがどうしても必要だということです。
この「信じる」ことを、ここでは「秤」として表現しています。秤とは入れ物のようなものです。私たちは何かを受け取るとき、自分の秤に入る分量のものを期待します。ところが、主イエスの御言葉や、復活といった神の御業は、私たちの秤からはみ出します。それで、私たちは受け取るのをやめようとしてしまうのです。だから、主はおっしゃるのです。たとえ受け取りきれなくても、秤を持ちつづけなさい。それは「復活を信じて御言葉を聞き続けなさい」ということです。そうすれば私たちは豊かに与え続けられるのです。