新型コロナウィルスへの対応について――オミクロン株の感染リスクがまだ続いています。
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
5月第1週の主日礼拝
5月1日(日)10:30~
説教「私が良い羊飼いである」 桐藤 薫 伝道師
ヨハネによる福音書 10:7-18
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
「私は良い羊飼いである」(11節)、これは主イエスがおっしゃった御言葉のなかでも特によく知られていますが、ギリシャ語の原文では「エゴー」(=私)を文頭において「私」を強調していますので、「私が良い羊飼いである」とした方が原文に即した翻訳となります。「私は」と「私が」ではニュアンスが微妙に異なります。「私が」とした場合、主イエスの他にも様々な羊飼いがいることが前提となり、そのなかで「私が良い羊飼いなのだ」という意味になります。他の羊飼いとは、ユダヤ人指導者や偽メシアといった偽物の指導者たちのことです。彼らは「羊のことを心にかけていない」(13節)とあるように、自分の生活を最優先に考え、羊を自分の生活を支える手段としか見ていません。彼らは羊を滅びの道へ導く羊飼いですが、現実は、この偽物の羊飼いのもとに引き寄せられる羊が多かったのです。
良い羊飼いである主イエスのもとに身を寄せた羊の多くは、漁師や徴税人、病気の人、身体障害を負った、社会の周縁に追いやられた人々でした。身体障害を持っている人を、「ハンディキャップを持った人」と言いますが、一方でこの言葉は優れた能力を持つ人が不利な条件を持つことで、他の人たちと同等の条件にするという意味でも使います。そのように考えますと、ハンディキャップを持った人は、優れた人ということになります。主イエスに導かれた多くの人々、社会的なハンディキャップを負ったこれらの人々は、優れた人なのです。それは主イエスのおっしゃることに、素直に「アーメン」と言うことのできることにおいて、誰よりも優れているのです。私たちの教会でも聖書の学ぶ講座を開催していますが、学んで理解して、その結果、主イエスのおっしゃることに「アーメン」というのではありません。主がおっしゃることに素直に「アーメン」と言う、これが私たちのなすべき応答です。主は「わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。」(18節)とおっしゃっています。この御言葉に対して、私たちは「アーメン」と応答したいと思います。そのとき、私たちは豊かな命の道を約束されるのです。