新型コロナウィルスへの対応について――オミクロン株の感染リスクがまだ続いています。
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
8月第1週の主日礼拝
8月7日(日)10:30~
説教「和解させていただきなさい」 桐藤 薫 伝道師
コリントの信徒への手紙二 5章16-21節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
本日の御言葉では、「和解」という言葉が何度も使われていました。なぜパウロは和解という言葉を繰り返すのかというと、このときパウロとコリント教会の人々との間で対立が生じていたからです。パウロは彼らの批判に対し、「それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとしません。」(16節)と言います。「肉に従って」というのは、「人間的な視点で」ということです。パウロは今後、すべての人を人間的な視点から見ることはしないと宣言しているということなのです。なぜこのように言うのかというと、人間的な視点から限り、人と人とは対立や衝突を繰り返し、和解はありえないことに気づいたからです。人間的な視点には、自己正当化や利己心、嫉妬、欲望が根底にあります。たとえ和解したとしても、その裏には人間的な思惑や駆け引きが渦巻き、和解はいつか必ず破綻します。だから、パウロは人間的な観点から人と和解しないというのです。
ではどのようにして、和解するのでしょうか。それは人間的な視点を放棄することです。それはキリストと結ばれることによって実現することができます。主イエスは、すべての人間の罪の贖いのために十字架にかかってくださいました。。それは神が私たちとの和解を望んでおられるからです。そのため、「神と和解させていただきなさい」(20節)という言葉は大切です。原文では「あなたたちは和解させられる」というように、受け身の形で書かれています。私たちは罪を自覚し得ない罪人にもかかわらず、神の方が私たちとの和解を望んでおられる。だから、私たちが和解するのではなく、私たちは神によって和解させられるのです。
もし、すべての人が神と和解させていただくことができれば、人と人の間でも、真の和解がもたらされます。パウロとコリント教会の人々との間でも、真の和解がもたらされるのです。一人一人が神と和解させられることが真の和解であるのならば、和解とは人と人が向き合うことではなく、一人一人が神の方向を向くことだと言えます。神に和解させていただいた者として、神の方向を向くこと。それが新しく創造されることであり、それによってはじめて真の和解が生まれ、真の平和が生まれるのです。