日本キリスト教団六ツ川教会

10月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について――オミクロン株の感染リスクがまだ続いています。
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
 
10月第1週の主日礼拝 
102日(日)1030
 
説教「主の食卓」 桐藤 伝道師
マルコによる福音書 14:10-21
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
 
主イエスを裏切った弟子として有名なユダは、マタイ、ルカ、ヨハネ福音書では彼をかなりの悪者として描いています。ところがマルコ福音書だけは、そのようにユダを描いていません。ユダがなぜ主イエスを引き渡そうとしたのか理由を記しておらず、そもそもユダに対してあまり関心も憎悪も示していないように見えます。 
確かにユダは主イエスを祭司長たちに主を引き渡したのですが、主イエスが受難予告をされるとき、ご自身で最初から「引き渡される」とおっしゃっています。つまり、ユダの裏切りの行為はすでに定められていたことであり、しかもそれは父なる神が定めておられるのです。つまり、ユダの裏切りの背後には、神が立っておられるということなのです。 
 主を裏切ったのはユダだけではありません。主が「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」(18 節)とおっしゃると、弟子たちは「まさかわたしのことでは」(19 節)と言い始めています。弟子たちは誰一人自信を持って、「私ではない」と言い切ることができないのです。それは主が逮捕されたとき、全員が主を見捨てて逃げて行ったことが、それを示しています。裏切り者とは、弟子たちすべてに当てはまることなのです。 
 大切なことは、そのような弟子たちを、主イエスはご自身で場所をご準備されて食卓に招いておられるということです。主はご自身を裏切る者について、「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸しているものがそれだ。」(30 節)と言います。「鉢に食べ物を浸している」とは、醤油皿を一緒に使っているようなもので、家族のようによほど気心が知れた仲でないと、なかなかできません。主イエスとユダは鉢を共有していました。主は裏切られると分かっていながら、ユダを深く信頼していたのです。 
 なぜ、父なる神は愛する独り子を引き渡されるように定められたのか。それは「生まれなかった方がよかった。」(21 節)という厳しい言葉を言われても仕方ない私たちを、「生まれてよかった」と言えるようにするためです。そのために、主は私たちの罪をお一人で背負われて十字架にかかられ、私たちすべての人間の罪を贖ってくださったのです。簡単に信仰が揺らいでしまう私たちを食卓の隣に招いてくださり、同じ鉢にパンを浸してくださる。そのような恵みの食卓に、私たちは今日もこうして招かれているのです。