日本キリスト教団六ツ川教会

12月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について――8波の感染リスクが始まっています。
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
 
12月第1週の主日礼拝 
124日(日)1030
 説教「命を与える声」 桐藤  伝道師
イザヤ書 第 55 章 1-11 節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)

 

大学などでよく質問を受けるのが、旧約聖書に記されるイスラエルの神を、どうして日本人である私たちが学ばなければならないのかということです。確かに聖書の神は外国の神のように見えます。しかし教会に集う私たちは、イスラエルの神がイスラエル人だけの神ではないことを知っています。「見よ、かつてわたしは彼(=ダビデ)を立てて諸国民への証人とし、諸国民の指導者、統治者とした。今、あなたは知らなかった国に呼びかける。[…]イスラエルの聖なる神のゆえに。」(4-5 節) 神はダビデを立てて、諸国民の統治者し、知らなかった国に呼びかける。つまり、ダビデはイスラエルだけの王ではなく、国境を超えたすべての国の王だと言うのです。なぜなら、イスラエルの神は、すべての人の神だからです。 
 この御言葉は、バビロン捕囚が終わろうとしているときになされた預言ですが、捕囚民のなかにはバビロンに留まろうとした人々もいました。「なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い、飢えを満たさぬもののために労するのか。」(2節)とあるのは、バビロンで捕囚の苦しみはあるものの、生活はできていたので、環境の変化を嫌う人々がいたということです。だからイザヤは「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。(以下略)」(1 節)と言うように、「来るがよい」、「来るがよい」、「食べよ」、「得よ」と、まるで店先で客を呼び込む売り子のように人々を招いているのです。それは、神のもとに本当に糧になるもの、本当に飢えを満たすものあるからです。 
 それにしてもなぜ、すべての国の神である主は、イスラエルの民にお姿を現されたのでしょうか。それはイスラエルの民が弱く、厳しい境遇に置かれていたからです。厳しい環境にいると心のアンテナが敏感になります。だから、ささやくような小さな神の声を聞き取ることができるのです。貧しいところ、苦しいところにおいてこそ、神の声は聞こえるのです。 
主なる神はイスラエルという、最も弱い国に現われ、命を与える声を響かせてくださいました。そして主イエスも、飼い葉桶というこの世の最も汚いところにお生まれになって、私たちを救いの道へと導いてくださるのです。