日本キリスト教団六ツ川教会

1月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について――8波の感染リスクが始まっています。
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、細心の注意を払いながら主日礼拝を行なっております。
しかし、小さな教会堂に大勢の人が集まることは、ウィルス感染の観点からすれば決して好ましいことではありません。発熱、咳、くしゃみなどの症状のある方、新型コロナウィルスの感染により重症化が懸念される方(糖尿病などの基礎疾患をお持ちの方)、混雑した公共交通機関を使わなければならない方は、くれぐれも無理をなさらないでください。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 主任担任教師 桐藤 薫・役員会一同
 
1月第1週の主日礼拝 
11日(日)1030
 説教「この救いを見よ」 桐藤  伝道師
ルカによる福音書 第 2 章 21-40 節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)

 

私たちは、クリスマスを子どもたちが中心となる礼拝だと考えているかもしれません。しかしルカ福音書のクリスマス物語に登場する人物は、名前が挙がっている人々で若い人といえば幼子イエスとヨセフとマリアです。それ以外のザカリアとエリザベトは「すでに年をとっていた」(1:7)と書かれていますし、シメオンとアンナも老人です。実はクリスマス物語の登場人物は、ほとんどが老人なのです。 
 ヨセフとマリアは「主の律法に言われている通りに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるため」(2:24)、エルサレム神殿に向かっています。本来、律法には小羊一匹を献げるように規定されているのですが、経済的に貧しい場合は、山鳩や家鳩を代わりに献げることが許されていました。つまりヨセフとマリアは貧しい夫婦であったということです。宮参りをした者を迎えるのはエルサレム神殿の祭司たちの役目ですが、ここに祭司たちは一切登場しません。満足な献げ物をできない貧しい夫婦は、祭司たちにとって存在しないに等しく、全く目を留めることはなかったのです。主イエスに目を留めたのは二人の老人、シメ オンとアンナだったのです。
 シメオンとアンナはイスラエルが救われることを望んでいました。イスラエルの現状は、貧しい者に一切関心を払わない祭司たちの姿勢に現われています。彼らは高額献金をする裕福な者に目を留めて祝福し、貧しい者には一切目もくれない。有名な「やもめの献金」の物語でも祭司たちが登場しないのは、ここに理由があります。貧しい者は見捨てられているのです。シメオンとアンナはそのような状況に心を痛めながら、日々祈りを捧げていました。そこに一組の貧しい夫婦が生まれたばかりの救い主を抱いて神殿に来た。誰も目に留めないなか、シメオンとアンナはこの幼子が救い主であると分かったのです。この二人はお金が物を言う神殿において、貧しい者は目も留められない状況を見続けてきました。それは貧しい者たちの悲しみを見続けてきたということです。悲しむ人を見続け、自らも悲しみの人生を歩み、その悲しみを深く知るがゆえに、主イエスを産むまで悲嘆に暮れていた貧しい夫婦が、満足な献げ物もできない状態で神殿に来たことに、目を留めることができたのです。そしてそこに眠る幼子が、イスラエルの救い主だと分かったのです。最初のクリスマスで主イエスの誕生を心から感謝し、真実の賛美の歌を歌うことができたのは、この二人の老人だったのです。