日本キリスト教団六ツ川教会

4月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について――オミクロン株の感染リスクが縮小傾向にありますが
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、引き続き細心の注意を払いながら主日礼拝を行なう所存です。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会   牧師 桐藤 薫・役員会一同
 
4月第1週の主日礼拝 
42日(日)1030
説教「いつものように」 桐藤 伝道師
ルカによる福音書 20:47-53
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
 
ユダが主イエスを裏切ったことはよく知られていますが、その理由は明らかではありません。金目当てであったとは考えにくく、もしかしからエルサレムの壮麗な神殿を見て心を動かされ、出来心で祭司長たちに媚びを売って取り入ろうとしたのかもしれません。裏切りの際、ユダが主イエスに接吻をする行為は有名です。この接吻は祭司長たちに「この人がイエスだ」ということを知らせるサインと言われていますが、そうであれば指を指して「こいつがイエスだ!」と叫べば済む話です。なぜ接吻だったのでしょうか。接吻は友情や信頼のしるしです。恐らくユダ自身、自分の出来心がこんな事態を引き起こすとは思いもせず、「私は主を愛している、これは裏切りでは決してありません」という自己欺瞞が、ユダにこの行動をとらせたのかもしれません。その意味で、この接吻には「このままでは裏切り者になってしまう」という、ユダの恐れがあると言えます。 
 祭司長たちや律法学者たちは民衆を恐れていました。民衆の見ていない夜、暗闇に乗じて、大勢の群衆と剣や棒といった武器を持って主を捕らえようとしているのは、明るい光のもとでは正々堂々と事を進めることができない恐れがあります。そして主イエスの弟子たちも恐れていました。「剣で切りつけましょうか」と言って打ちかかったものの、大祭司の手下の右の耳を切り落としただけでした。恐らく手が震えて目標を逸れたのでしょう。ここからも弟子が恐れていたことが分かります。つまり祭司長たちや律法学者たち、そして弟子たち、ここに登場する人々すべての人が、恐れに駆られて行動していたのです。 
 このとき、恐れていなかったのは主イエスただお一人でした。ユダが裏切ることを知りながら、「いつものようにオリーブ山に行かれると」(20:39)、40 節の「いつもの場所に来ると」(20:40)とあるように、いつものように行動されていたのです。恐れに囚われている人は、いつのように行動できません。恐れは人を不自由にさせます。いつものように行動すること、それが恐れから解き放たれることなのです。いつもの時間に起きる、いつもの時間に食事をする、いつもの時間にお祈りをする、いつもの時間に礼拝に来る。この何でもない日常をいつものようにすることが、恐れずに歩む方法、つまり主の足跡をたどることなのです。