日本キリスト教団六ツ川教会

7月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について――オミクロン株の感染リスクが縮小傾向にありますが
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、引き続き細心の注意を払いながら主日礼拝を行なう所存です。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会   牧師 桐藤 薫・役員会一
7月第1週の主日礼拝 
72日(日)1030
説教「笑顔で歩けば」 桐藤 薫 牧師
ルカによる福音書 第 17 章11-19 節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
福音書でサマリア人が登場する物語のなかでも、この重い皮膚病を患うサマリア人の物語はあまり知られていません。この物語の分かりにくさが関係しているからでしょう。ユダヤ人とサマリア人は、もともとは同じ律法を守る民族でしたが、律法理解の違いから激しい憎悪をもって敵対する関係となります。本日の御言葉では、イエスの一行はガリラヤとサマリアの境にある村を訪ねています。この村には10人もの重い皮膚病を患っている人がいますが、1つの村としては人数が多すぎるように思います。恐らくこの村は、重い皮膚病をはじめ、律法で汚れた者とされた人々が集まる僻地の寒村、つまり「捨てられた村」だったのでしょう。
ここでイエスがおっしゃったのは、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」の一言だけです。「祭司たちのところ」(=エルサレム)は、この村から一日で行ける距離ではありません。何日もかけて街から街へと歩いたはずです。街に着くたびに人々から避けられたり、罵声を浴びせられたりしたに違いありません。それでも、彼らはこの歩みを止めませんでした。なぜそれができたのか。それは、彼らがイエスの言葉を信じたからです。彼らはイエスの一言で病気が治ったのではありません。病を抱えたまま、イエスの言葉だけを信じて歩き出したのです。その歩き始めた道の半ばで、病が癒やされていることに気づいたのです。
このときの10人の重い皮膚病の人々は、暗い顔で街から街へ歩いたのではないはずです。捨てられた村でイエスから声をかけられ、エルサレムへ行けと言われた、もしかしたらこの病が治るのかもしれないという希望を抱いて歩き続けたはずです。その希望がなければ、人々の冷たい視線に耐えながら街から街に歩くことはできないでしょう。彼ら表情には希望の笑顔があったのではないでしょうか。その笑顔は横柄な態度をとる人々を変えることができます。重い皮膚病は、病それ自体より、病による差別の方が患者の心を深く傷つけます。しかしこのとき、人々は彼らの笑顔に圧倒され、彼らに罵声を浴びせることを次第に止めていったのかもしれません。街から街へ歩いている途中に癒やされているのに気づいたというのは、彼らが変わったというよりは、街の人々がその希望に満ちた彼らの笑顔によって変えられたと考えることもできるのです。そこに神の恵みがあります。しかし、その神の恵みに気がついてイエスのもとに戻って神を賛美したのは、信仰の民ユダヤ人ではなく、サマリア人だったのです。