日本キリスト教団六ツ川教会

9月のお知らせ

新型コロナウィルスへの対応について――感染リスクが再び拡大傾向にありますが
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、引き続き細心の注意を払いながら主日礼拝を行なう所存です。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会   牧師 桐藤 薫・役員会一同
 

9月第1週の主日礼拝
9
3日(日)1030
説教「低みに立つ」 桐藤 牧師
ルカによる福音書 14 7-14
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)

主イエスの時代も席順があり、主賓は席の中央か上席に当たる端に座ります。主賓は最後に登場しますので、それらの場所に座っていては、移動を促されることになりかねません。だから主イエスは「招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい」(10 節)とおっしゃるのです。そうすれば、むしろ上席を勧めてくれるだろうということですが、主イエスにしては、かなり基本的な処世術をおっしゃっているように聞こえます。 

 言うまでもないことですが、主イエスはあえて末席に座って遠慮するそぶりを見せ、上席に座る布石とすることを私たちに勧めておられるのではありません。主が私たちに求めておられるのは、「真実に低くなる」です。 

「真実に低くなる」とは、「仕える者になる」ということです。自らの身を低くするということで、それによって初めて仕える者だけが知っている苦しみが分かり、主イエスが苦しみを背負う姿が見えてくるのです。 

宴会を催すときには、貧しい人たちを招くように勧めておられますが、その理由が「その人たちはお返しができないから」(13-14 節)というのは、印象的な言葉です。通常、私たちは「ギブ・アンド・テイク」を念頭において、相手に提供したものに相応しい見返りを求めます。しかし「テイク」を視野に入れると、「もとはとれるだろうか」とか「損はしないだろうか」といったことばかり考えてしまいます。心は損得勘定でがんじがらめになり、不自由になります。一方で「お返しができない」、つまり「テイク」がない場合、損得勘定はなく、心の不自由から解放されます。主が私たちに求めておられるのは、この自由な精神です。損得勘定に囚われない、無心の心です。主は祝いの席の上席に座ることを、決して非難しておられるのではありません。上席に座りたがる心、人より上に立ちたいという心から自由になって欲しい、低みに立つことから初めて見える世界に踏み込んでほしいという願いを込めて、このたとえ話を話しておられるのです。 

 本日の御言葉の直前に水腫の病を患う人が出てきました。この人は主イエスの御前に立たされました。主の御前は救いを望む者にとって特等席です。主イエスを救い主と信じるすべての人々に、低みに立つすべての人にこの特等席は用意されているのです。