新型コロナウィルスへの対応について――感染リスクが消えていませんので
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、引き続き細心の注意を払いながら主日礼拝を行なう所存です。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会 牧師 桐藤 薫・役員会一同
11月第1週の主日礼拝
11月5日(日)10:30~
説教「真の賢さ」 桐藤 薫 牧師
創世記 第 3 章 1-7 節 コリントの信徒への手紙 I 第 15 章 16-22 節
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
蛇は古代エジプトやメソポタミアにおいて、最も賢い動物とされていました。ここでの蛇の賢さは、人を神から巧妙に引き離すところに発揮されています。蛇は女に言います。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」(1 節)。第 2 章 16 節で、神は園のすべての木から取って食べてもよいが、善悪の知識の木からは決して食べてはならないと言われているので、この問いには間違いがあるのですが、蛇は意図的にこのように言っています。わざと知らない振りをすることによって、会話に引きずり込む手法です。
女は答えます。「私たちはその木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない」(3 節)。ここまでは、確かに神はおっしゃっていました。問題は次です。「触れてもいけない」。これは、神はおっしゃっていないのです。女自身の言葉です。女は神の言葉を忠実に守ろうとしていました。ですが忠実にしようとするあまりに、神の言葉を拡大解釈して、つい自分の言葉をここに付け加えてしまったのです。たった一言ですが、ここに無知を装う蛇に対して自分の知恵を誇る彼女の自意識と、自分の言葉を神の言葉として語ろうとする姿が現れています。「善悪を知る」の「善悪」とは「全体」という意味で、自分自身が全知全能だと錯覚するということです。ですから、「善悪を知る」とは、神から離れた自己中心性をいいます。結局、蛇が唆した賢さとは、自己中心的に生き、自分を大きく見せるための賢さに過ぎなかったのです。
私たちがこのような賢さから逃れるためには、女が「触れてもいけない」と神の言葉を勝手に拡大解釈したようなことをせず、聖書に書かれていることを、そのまま受け取ればよいということです。多くの人からは非常に愚かなことだと思われるでしょうが、人間が得た賢さが、自己中心的に生き、自分より弱い立場にある人々を虐げるような賢さであれば、私たちにはそのような賢さは必要ありません。神の言葉を愚直に、そのまま受け取る愚かさに生きたいと思います。
本日は第二朗読で死者の復活の御言葉を聞きました。なぜ死者が復活すると言えるのか。それは主イエス・キリストが復活されたからです。このように言うと「本当にそんなことを信じているのか」と、蛇が女を唆したのと同じ言葉を、私たちは投げかけられるでしょう。そのとき、私たちは死者の復活について、拡大解釈する必要はありません。一言も付け加えずに「キリストが復活されたように、死者は復活する」、ただこれだけを言えばいいのです。そのように信じ切って、愚か者のように死者の復活を言うことができる、それが、神が私たちに求められている真の賢さなのです。