日本キリスト教団六ツ川教会

1月のお知らせ

新型コロナウィルスやインフルエンザ等の感染リスクが消えていませんので
六ツ川教会は主の御言葉を聞き続けるため、引き続き細心の注意を払いながら主日礼拝を行なう所存です。
礼拝に来られる方は以下の点につき、ご協力をお願いいたします。
1. 教会堂に入る際は、手指の消毒とマスクの着用をお願いします。
2. 会堂内の換気をいたしますので、特に気温の低い日は服装での調節をお願いします。
3. 着席の際は、席をひとつ以上空けてください。
4. 礼拝の短縮を行なっております。詳しくは週報をご覧ください。
5. 教会堂での会話は最小限にとどめ、礼拝後はすみやかにお帰りください。
日本基督教団六ツ川教会   牧師 桐藤 薫・役員会一同
1月第1週の主日礼拝
 1 7 日(日)10:30~ 
説教「みんなでやろう」 桐藤 牧師
ヨハネによる福音書 129-34
(礼拝は毎週ありますが、第一週のみ紹介しています)
ヨハネによる福音書の洗礼者ヨハネの物語は、共観福音書と大きく異なる箇所があります。それは共観福音書では洗礼者ヨハネのもとには、ユダヤ全土から人が押し寄せて洗礼を受けたと書かれていますが、ヨハネ福音書では人が押し寄せたことは、一切書かれていないのです。本日の箇所もヨハネが一体誰に向かって話しているのか、はっきりしないのです。分かっていることは、前日にエルサレム神殿の祭司やレビ人、そしてファリサイ派の人々が、ヨハネのもとにきて糾弾したということです。そもそもエルサレム神殿の祭司とファリサイ派は、仲が良くありません。ところがここでは団結して、丸紅商事の CM のように「できないことは、みんなでやろう」と言わんばかりに、ヨハネを尋問しているのです。そのように考えますと、ヨハネ福音書で描かれる洗礼者ヨハネは、とても孤独な人間でした。孤独のなか、人々に洗礼を受けよと叫び続けていたのです。そしてその呼びかけに応える人がいたのかどうか、全く分かりません。そのようなヨハネのもとに、「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが近づいて来られるのを見て行った」(29 節)とあるように、まるで裁判の被告のようになって、あれこれ尋問されているヨハネのもとに、主イエスの方からヨハネのもとに来てくださったのです。 
私たちの教会も、このヨハネと同じように孤独なものです。彼がベタニアという辺境で一人叫び続けていたように、私たちも世の中の外れたところで、福音を宣べ続けているのです。そしてその声を聞いてくれる人がほとんどいないのが現実です。しかし私たちにとって救いなのは、そのようなところに、主イエスの方から来てくださったということです。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」罪と悲しみを取り除く方、それが主イエスなのです。本日の御言葉のあとに「最初の弟子たち」とあるように、弟子たちは主イエスの方から近づいて行かなければ弟子になりえない人たちばかりでした。この弟子たちも洗礼者ヨハネと同じように、孤独で途方に暮れていた人々です。その彼らに主イエスの方から近づいて行かれたのです。 
 新しい年を迎え、この一年に何が起こるか分かりません。能登半島沖では大きな地震がありました。大変な惨事となっています。私たちも、この年に病気になるかもしれません。死を意識することもあるかもれません。病や死と戦うのは一人では難しいものです。そのときに思い出したいのです。「できないことは、みんなでやろう」。そのような困難に共に立ち向かうのが、私たち教会の仲間なのです。そのような私たちのもとに、主イエスの方から近づいて来てくださるのです。